はじめに

私的なこと

 

戸隠かごや 朗々-rou rou-

 2017年に長野県長野市に移住し、2022年に「戸隠かごや 朗々-rou rou-」を開業しました。
戸隠の山に自生する力強く朗らかな竹の良さを、製品として届けたいと思いをこめて屋号を決めました。現在は、製作・販売、教室の運営をできる範囲で行っています。

今こうして、戸隠で竹細工の仕事をするまでには色々な分岐点がありました。その土地ごとの竹細工や人との出会いがあり、その出会いが戸隠の竹細工へと続いていきます。

戸隠の竹細工のことを綴る前に、そこに至るまでの過程を少し振り返ってみようと思います。お時間が許せばお付き合いいただければ幸いです。


竹細工との出会い

私が竹細工に出会ったのは20代後半の遅い一人暮らしを始めた時。暮らしの細々としたことが、もともと得意ではなかったため、少しでも気持ち盛り上げようと購入したのが竹細工の水切りかごでした。

その頃は、孟宗竹以外の竹がある事すら知らない状況でしたが、携帯の画面上で見つけた竹の水切りかごという存在に期待を膨らませていました。初めて購入したこの水切りかごは、自然素材が苦手とする環境や扱い方を理解しないままに使っていたため、のちのちカビを生やしてしまうという大惨事に至ってしまいます。


それでも初めて水切りかごを使った日「食器を洗う」という行為がなぜか特別な時間に思えて、かご一つが日常の動きをこんなに鮮やかにしてくれるのかと感動したのを覚えています。

それからしばらくは、ただただ食器をかごにふせたいが為に食器を洗う日々が続きました。この水切りかごと出会いが、それまで勤めていた仕事を辞め竹細工の道を進むきっかけに繋がっていきます



↑初めて買った水切りかご(左)と収納用のかご(右)
ともに根曲り竹を使った青森県弘前市の三上幸男さん作




別府での竹細工生活

水切りかごと出会ってから一年後、仕事を辞め、縁あって大分県別府市にある竹細工の職業訓練校に通えることになりました。

平日は朝から夕方まで訓練校に通い、土日に選択制の外部講習会で職人さんたちから製作課題を通してカゴを学びます。当時は目に見えて遅れていることに焦り、一向に上手くならない竹割りに悩んだりしていました。ですが、それ以上に長い竹を全身で割る躍動感や縁巻きの格闘の末に包まれる竹との一体感に魅せられていました。

思い返すと別府での生活は期間にすると1年半と短いですが、個性豊かな同級生と竹談義をしつつ、時に揉めたり、時に助け合いながら、訓練校も私生活も本当に濃い時間を過ごしました。

工房に入って製作をしている人、弟子として海外を飛び回っている人、竹を使った音楽活動をしている人、木工と竹の工房を自ら営んでいる人、山を守ると林業へと舵を切った人、僧侶と竹の両立をしている人、まだまだもがいている人。あの時一緒に学んだ仲間たちは、今もそれぞれの生き方の中に竹があります。



↑通った訓練校。敷地内にある小さな展示スペースがおすすめです。
事前に予約すると施設や作業の見学もできます。




別府での暮らし

新しい住まいは、鶴見岳と別府湾が見える景色が気に入って決めた風呂なしアパート。

引越しの際、大きな家電を送るのも新しい家電を揃えるのもなんだかしっくりこないため、携帯・ラジオ・ドライヤー・プロジェクター+DVDデッキという脈絡のない物と最低限の身の回りの物とともに別府にやって来ました。

隣のおばあちゃんと行き来が自由にできそうなほど開放感に溢れたベランダで、洗濯板とタライを持ち出して洗濯して満足し、干した洗濯物が全て温泉の匂いに包まれるということを一緒に学びました。

近くのスーパーを冷蔵庫の代わりにしながら、生鮮食品は必要な時に使い切れる分を買い、保存できるものを使いつつ鍋でご飯を炊いて何かしら食べる毎日。訓練校時代は初めての事ばかりで体も頭もフル回転していたため、朝・昼それぞれ1合のご飯を食べていても10時と15時にお腹が鳴るほどいつもお腹をすかせていた気がします。

深夜のラジオを聴きながら終わらない課題を仕上げ、朝は近所の共同温泉の熱すぎる湯に浸かってから学校行き、作業で汗だくになって帰ってきてからまた共同温泉へと通っていました。別府は地区ごとに共同温泉があって、組合員数に応じて決まっている月額料金を払えば毎日何回でも入りたい放題という環境です。私も家から徒歩20秒のところにある共同温泉(朝6時〜夜10時)に本当にお世話になりました。

この後、2年間の訓練校の卒業を待たずに長野県長野市戸隠へ引っ越すことになります。






↑アパート近くにあった六角温泉。湯船も六角形。
私がいた時よりも新しくなっている気がします